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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」シリーズの続きで、今回は生態学的測定法(その1)
まずは、論文を見てみましょう。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
結局ここでの私の主張は、人の運動を要素に分けたりしないで、全体的に測定できないだろうかという点に集約される。つまり人の運動は変化するのだが、たとえば認知の問題で変化している間は、いくら筋力や関節可動域を測定しても、人の運動変化を説明することなどできない。また、仮に同時に筋力や可動域や認知、その他動機などを同時に評価できたところで、それからどのように総合的な評価を下すというのか?バラバラの評価から、1つの結果を予測できるのなら、誰も最初から苦労などしないのである。
前回の話を思い出していただきたい。片麻痺の父親は、最初壁と自転車で作られたすき間を見たときに、「わしはここを通れん。自転車を倒すじゃろう。」と言った。ところが、横歩きを試した後では、「通れるかもしれん」と言いだし、実際に通ってしまった。いっそのこと、「どのくらいの狭さまでなら通れると思う?」などと親父に聞いてみたら良かったのかもしれない。なぜならば「できる」「できない」の判断は、その人の身体的能力の認知や精神的な状態、環境との相互作用の結果だからである。最初に自転車と壁の間が80センチあったとする。運動戦略や身体認知の変化が起こって、「通れる」幅が50センチになったとすれば、より狭い場所での移動が可能になることを意味する。
それはさまざまな構成要素の相互作用の結果である。私たちはそれを追い続けることによって、その人の運動が全体としてどのように変化するかを理解できるのではないだろうか。ちょうどゲーテがプリズムをのぞいて色を理解したように、私たちは患者さんの判断を通して行動能力のレベルや運動変化を理解できないだろうか。
ただこのように単純に物理的な数値で表すと、他人との比較が難しくなる。たとえば40センチは一般的にいって狭いのだろうか、広いのだろうか?これには第一に体の大きさが関係していることが考えられる。体が大きければ通れる最小幅は当然大きい。じゃあ、体の大きさを基準にして、通れる幅がどうなのかを考えればよい。そうすれば以下に紹介するように、標準値らしいものが出てくるのである。
具体例を見てみよう。カエルは前方の植物の茎などのすき間が自身の頭部の幅の1.3倍以上ないと飛び出さない。スライドで壁にさまざまな高さのバーを写し、どの程度の高さまで手を使わずに登れるかを大学生に視覚的に判断させると、被験者の股下の長さ、0.88倍のところがぎりぎりだった。視覚だけを頼りに、手を使わずに座れる椅子の高さは脚長の0.9倍の高さの椅子であり、バーが「くぐれる」か「くぐれない」かをたずねると、脚長の1.07倍のところを境に答えは変わる。ここであげているのは体の大きさと視覚的情報との相互作用の結果、出てきている数値である。老人では全身の柔軟性の方が脚長よりも、「登れる最大の段の高さ」の基準として適切らしい。
このように身体の大きさ、柔軟性、能力を基にして、環境との相互作用の結果を表すための尺度を使った測定法を生態学的測定法と呼ぶ。下肢長の1.1倍とか、安静歩行時の心拍数の2倍である。これらの数値は体格や身長に関わりなく、比率自体は普遍性を持っているらしい。物理的な測定値も、身体やその機能を基にして尺度を考え直すことによって新たな視点が見えてくるが、それはまた次回の話。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
基本的に僕たちは、以前取り上げた「還元主義」に基づく考え方の影響を大きく受けています。それはそれでいいのですが、もしも有益な別の考え方があるのなら、それも身に付けておいた方が有利で便利でしょう、と述べてきました。
前回までの「アフォーダンス」や今回取り上げた「生態学的測定法」は、「還元主義」とは異なるパラダイムに基づいたものです。どちらの考え方もとても大事なのですが、僕たちが新たに学ぶ必要があるのは圧倒的にニュートンの視点ではなく、ゲーテの視点だとも言いました。「アフォーダンス」や「生態学的測定法」は、それを学ぶよいきっかけになるのではないかと思います。
【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.
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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」シリーズの続きで、今回はアフォーダンス(その6)です。
まずは、論文を見てみましょう。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
生態学的測定法(その1)で述べた例を挙げておこう。『カエルは前方の植物の茎などのすき間が自身の頭部の幅の1.3倍以上ないと飛び出さない。スライドで壁にさまざまな高さのバーを写し、どの程度の高さまで手を使わずに登れるかを大学生に視覚的に判断させると、被験者の股下の長さ、0.88倍のところがぎりぎりだった。視覚だけを頼りに、手を使わずに座れる椅子の高さは脚長の0.9倍の高さの椅子であり、バーが「くぐれる」か「くぐれない」かをたずねると、脚長の1.07倍のところを境に答えは変わる。』
これらの話は、アフォーダンスの持つ予測的性格を良く表している。つまり運動は実際に行われる前に、すでに予測的にどのような結末になるのかが行為者には大体わかっているのだ。身体から発している情報と環境からの情報、それらが課題を中心に相互作用を起こすと、その結果が予測的にわかってしまう。もっと端的に言えば「できる」とか「できない」といった「見込み」ができてしまう。
「その1」で述べた壁と自転車の間を親父が通り抜けることを考えてみよう。最初、その隙間を見たときに、親父は「自転車を倒す」という見通し、すなわち成功裏に通り抜けられないという見通しをたてた。僕が「横向きに歩いたら」というアドバイスをした後で横歩きを少し練習させると、「通れるかもしれん」といった風に見通しは変化した。その見通しの変化は結局運動を生じさせ、その行為を成功裏に終わらせた。この場合、身体の発する情報が変化したのか、親父の思いこみが変化したのか知らないが、いずれにしても環境からの情報との相互作用を通じて、見込みが変化したと考えられる。見込みの変化は、実際に運動を変化させる。
もう一つの例を挙げてみよう。自動車で大きな交差点を右折することを考えてみる。対向車線から来る直進車の隙間を見つけて右折を行うわけだが、この場合は心身の状態や対向車などに加えて、乗っている車からの情報もそれらと相互作用して一つの見通しが決まってくる。普段スポーツタイプの加速の良い車に乗っていて、たまに軽自動車に乗ったりすると、右折できる見通しの変化を実感できる。「いつも乗っている車なら、今の切れ目で右折できたのに・・・」と思ったりするのである。軽自動車の加速の悪さを実感して、無意識に見込みを変化させているのだ。ところがこの軽自動車にしばらく乗っていると、次第に見込みが変化してきて、ほんの少しの隙間でも「今だ!」といって右折できるようになってくる。最初は、危険性を考慮して少し甘めに見ていた見通しが、軽自動車に慣れるに従って、安全に右折できるぎりぎりの見通しへと変化していく。見込みの変化は運動や行動の変化につながってくる。
結局アフォーダンスは、環境と心身の関わり方を決定するための「見込み」として考えられる。環境と心身の相互作用の結果、予測的な見込みを生み出す。さらにそれは運動を生じさせ、あらかじめ予見的に決定された結果へと運動を導く。もしアフォーダンスが我々にとって正確なものでなければ、課題を達成するために運動を起こせなかったり、甘い見通しをたてて危険な目にあったりするわけである。
もう一つ、その見込みは運動の方法に関するものではない。運動の方法は、「自己組織化によって、その場で偶然に決定される」というのは、「運動学習(その3)」で述べた通り。実際の運動の方法(過程)はその場その場で偶然に決定されるので、予測不可能なのだが、その結果はアフォーダンスによってあらかじめわかっているのである*。すなわち、アフォーダンスによって運動は生じ、予測的に結果へと導かれる。ところが運動の方法や過程は、その場その場で自己組織化的に生じる
たとえば「手に持った鉛筆で丸を描く」課題が与えられたとしよう。あなたにはできますか。そう、できるでしょう。「できる」という結果は分かっているのだ。しかし一回一回の書き方は変化する。腕の使い方や速度はその度に微妙に変化する。方法は一回毎にその場で偶然に組織化されているのだ。結果、書かれる丸は一回毎に変化する。しかしながら、丸を描くことができるという結末は、ほとんどの人にとってはあらかじめわかっているのである。そして日常生活の様々な動作の結末は、我々にはほぼ予測的に分かっているのである。
それならば「ピーナツを一つ放り投げて、両手で耳を触り、『ヤッホー』と叫び、さらに口で受ける」という課題ならどうか。できないと見込みを立てる人も多いだろう。あるいはできると見込んだ人でも、失敗する確率は日常生活動作に比べるとはるかに高いだろう。新しい運動課題と出会うと、人は「できない」という見込みを立てたり、「できる」と判断したものの失敗する可能性が高くなるものなのである。つまり予測の確実性は低下する。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
運動の結果というものは、行為者にとってあらかじめほぼわかっているわけですね。そして、その予測的な了解を参照して人の運動は組織化される。
それならば、その行為者の予測的な了解を知ることができたならば、セラピストにとってとても有益な情報になりそうですね。
【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.
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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」シリーズの続きで、今回はアフォーダンス(その5)です。
まずは、論文を見てみましょう。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
私たちは「アフォーダンス理論」から何を学んできたのだろうか?まず「人の運動変化は環境に依存している」といった内容のことである。『依存する』とはどういうことか?それは「人は環境との相互作用の中で見いだす『意味』あるいは『価値』によって行動している」ということだ。つまり『意味』や『価値』によって運動を生じさせ、一瞬一瞬に変化させ、運動学習をし、長期的には運動を発達させる。逆に言えば『意味のない』あるいは『価値のない』ことは基本的に、人の運動に変化を起こさないし、学習もされない。
訓練室でセラピストから教えられた運動パターンは、訓練室を出たとたんに消えてしまうケースは多い。なぜならその運動パターンは訓練室でしか意味を持たないからだ。それならば訓練室でやる訓練は無意味かと言えば、そうでもない。たとえば患者さんの痛みを弱めること、筋力を改善すること、関節可動域を改善すること、全身の持久力を改善することは患者さんの意味を見いだす能力を変化させるはずである。自分一人で立つのが精一杯だった人が、一人で10メートル歩けるようになったとする。これだけで環境に見いだされるアフォーダンスは随分変化するはずである。結果アフォーダンスの変化は新たに運動を変化させる。
だがこの辺りは、従来の訓練法では元々視野に入っていない。従来の訓練法では、運動変化の原因をさまざまな構成要素に還元する。そしてその要素に働きかける。しかし、アフォーダンスに相当する視点が欠けていたのである。結果、運動変化の原因は、筋力だの関節可動域、あるいはセラピストのハンドリングなどに還元されてしまう。セラピストは運動変化が自律的に起きること、たとえば本当に生活に必要な運動変化が訓練室以外、つまり生活環境で起きていることを知らない。多くの患者さんは自分自身で、必要な運動変化を起こしていけるのだ。
「運動を生じさせ、変化させ、学習させる意味」としてのアフォーダンスを運動変化の中心に据えることは、患者を自立した存在として扱うということだ。セラピストの仕事は、患者さんの意味を見いだす能力を変化させることだ。後は患者さん自身の環境で、患者さん自身にとって意味のある運動変化を、患者さん自身が生み出していく。我々セラピストは、運動変化のほんの「きっかけ」となっているに過ぎない。だが、我々セラピストだけが提供できる「きっかけ」がある。
僕はもう少し、このアフォーダンスを意識した訓練体系を確立したい。たとえば運動変化は、セラピストのハンドリングや筋力増強訓練だけによって、あるいはそれを中心に起きているのではないのだということをはっきりさせたい。運動の変化は、セラピストによらずとも、もっと自律的に起きているのだ。つまりアフォーダンスを中心にして。「運動はアフォーダンスを変化させ、変化したアフォーダンスは運動を変化させる」といった辺りをうまく評価と訓練実施に結びつけたいと思っている。
最後にもう一度まとめておく。「我々セラピストの仕事は、運動を直接変化させることではない。運動変化そのものは、アフォーダンスを中心に患者さんが行うのである。我々はそのアフォーダンス、「価値を見いだす能力」を変化させる。たとえば身体の物理的能力(筋力や関節可動域など)、動機付け、環境操作(装具や家屋改造)などの手段を用いることによってである。」
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
人の運動変化について考える際には、一時的な運動変化と持続的な運動変化と分けて考えた方がいいようですね。そういえば僕もまだ若くて経験も浅かった頃、講習会などに行くと、講師の先生がデモンストレーションをすると患者さんの姿勢がその場で目に見えて変わって、「おおぉ、すごい!」と思ったりしたものでした。
でも、結局これは一時的な変化にすぎないんですね。その後CAMRを学び経験を積んで、一時的な変化なんて、いとも簡単に生み出すことができることに気づきました。
もちろん、それはそれで使い道があるので悪い事ではありません。セラピスト自身が、その違いを理解していることが重要なのです。違いをわかったうえで意図的に一時的な変化を使ったり探索しているのなら良いのですが、この違いがわからずに、いつまでも一時的な変化だけを延々と繰り返しながら「粘り強く繰り返すことが大切です」などと耳障りが良くてもっともらしいことを言うしかないようではちょっと困りますね、ということです。
そして最後のほうで「アフォーダンスを意識した訓練体系を確立したい」と述べられていますが、これが少しずつ進化しながら後のCAMR構築につながっていきます。
【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.
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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」の続きです。
前回「還元主義」について紹介させていただきました。今回は、その続きです。
まずは、論文を見てみましょう。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
「何だ、ごく当たり前のことを言ってるじゃないか」と思われる人もいるに違いない。経験豊かな臨床家ほど、障害に対しては還元主義的なアプローチを取りながらも、患者さんの顔色や意欲や生き甲斐のようなものを決して軽視しない。患者にとって重要な要素は、身体の問題、ましてやたった一つの要素だけではないことを知っているからだろう。そんな人にとってみれば、当たり前のことを言っているにすぎない。しかし、患者さんの意欲があろうがなかろうが、訓練室に来た途端、顔色も見ないでひたすら姿勢反応の促通をしたり、麻痺側下肢の筋緊張の異常にアプローチするセラピストも多い。
それでも還元主義的な方法は魅力的である。特に固定的な関係を持った現象を理解するためには、還元主義は都合がよい。たとえば水を理解するために、酸素と水素からなる分子構造に還元することができる。「なるほど、水は酸素と水素からできているのか」と思えば、なんだか水のことがわかったような気になるから不思議だ。逆に酸素と水素から水を作り出すことも可能にする。なんと有意義な理解の仕方であろうかと思えてくる。
それでも私たちが実際に知っている様々な水の性質、濡れる、滲みる、流れるなどといった実感とは随分かけ離れた理解の仕方だ。私たちは実際にはもっと違った方法で水を良く理解している。手を浸す、色々な器に入れてみる、浴びる、飲む、温度を変えてみる、など。
同様に脳性運動障害、たとえば歩行をその構成要素に分解することは有意義かも知れないが、構成要素に分ければ分けるほど人の運動の特徴は、私たちの実感からかけ離れてしまう。過緊張の分布や関節可動域、健側筋力を調べたからと言って、そのバラバラの情報から歩行の様子を想像することは難しい。
さらに、人の歩行の構成要素の振る舞いやその関係は水の構成要素ほど、一定した物ではない。常に変化し、捉えどころのない振る舞いであり、関係である。そんな複雑な関係をバラバラにして、より複雑な分析を行うなどナンセンスである。
ある現象が様々な構成要素の結果であると言うことはみんな知っている。しかしいくつの構成要素が関係していようと、でてくる結果は、結局一つなのだ。わざわざ構成要素に分解しなくても、その結果がどのような物かを理解する方法があるのではないだろうか?たとえば幼い子どもは、水が水素と酸素からできていることを知らないが、生きていくために水がどのような物かをちゃんと理解しているように。その理解のための方法の一つがアフォーダンス理論かも知れないと私は考えている。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
要素に分けて分析することは確かに良い方法の一つではありますが、時にそれは僕たちの実感からかけ離れてしまうことがあるようです。
科学革命が起こる以前では、この世界とはまさに僕たちの目に見えている通りの物でした。しかし、顕微鏡や望遠鏡が発明されると、それまで見えなかったものまで見えるようになってしまいました。顕微鏡や望遠鏡を通して見る世界とは、それまで僕たちの目に見えていたものとはまったく別の、異世界とさえ思えるようなものを映し出すこともあります。
もちろんそれは素晴らしい事なのですが、その一方でもっと僕たちの実感を大切にするという立場も忘れないようにしたいものですね。
【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8, No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8, No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8,
No.2, p120-135, 1996.
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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」の続きです。
「これまでの物の見方、枠組みではアフォーダンスを理解することは難しい」ということでしたので、今回から「アフォーダンス」の項を一旦中断して、異なるパラダイムについて取り上げます。
まずは、従来的な物の見方である「還元主義」に焦点を当ててみましょう。
論文から引用してみます。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
成人片麻痺患者の歩き方を理解してみよう。現在の臨床での普通のやり方は、まず歩行を良く観察することから始まる。そして一般的な歩行と比べて、どこがどう違うのかが記録される。そしてそのような違いがどうして生じたのかを考えていく訳だ。
手がかりとして、患側下肢の麻痺の程度が調べられる。連合反応や各反射の影響、平衡反応・立ち直り反応の消失のレベル、患肢の粗大筋力や健肢の筋力、関節可動域などが調べられる。さらに感覚や認知の検査が行われる。動機や意欲も評価されるかも知れない。
上に調べられた検査項目は、一枚一枚の紙に記され、カルテに挟まれる。熟練したセラピストがそのカルテをぱらぱらとめくると、どうしてその片麻痺患者がそのような歩行をするのかが、直感的にわかるらしい。もっとも学生や経験の浅いセラピストには難しい。私にも難しい。そこでこのやり方がさらに将来進歩したと考えてみよう。
このやり方のポイントは、歩行を構成する色々な要素に分け、そのそれぞれの要素がどのように振る舞っているかを明確にするところだ。たとえば滑らかな平地歩行で、ある患者さんの歩行には、体幹機能の低下が70%の影響力を持っている。患側下肢の麻痺が15%、健側下肢の筋力が10%、意欲その他が5%の影響力を持っている、といったことが明確になったとしよう。
仮に上のような割合が明らかになれば、患者さんの歩行を変化させるためには、体幹の機能を改善しなければ意味がなくなる。何しろこれが患者さんの歩行に70%の影響力を持っているのだから。最初に10%にすぎない健側下肢筋力などに働きかけようとは思うまい。体幹の安定性が得られないために、代償的に下肢の痙性による尖足を強めるなどと考察すれば、まず体幹の安定性こそが重要な課題となる。
このような考え方は還元主義と呼ばれる。たとえば片麻痺患者の歩行パターンなどは、それを構成する様々な要素からなる複雑な現象であり、これを理解するのは並大抵ではないと思われる。しかし、その複雑さは表面的なもので、より基本的で大きな影響力を持った要素、より重要な働きをする要素の振る舞いを理解できれば、その根元的な性質を理解できるとするような考え方である。上の例では、体幹の機能低下が最も重要な要素であり、それによって様々な歩行の性質(尖足、膝のロッキング、分回し歩行など)が説明できると考えるのである。つまり体幹機能に原因を還元(より根元的なものとして他の要らないものを切り捨てること)しているのである。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
要するに、ある現象を理解する際、わかりやすくするために細かい要素にわけて分析していくという考え方ですね。
これは非常に有用で強力なアイデアです。実際に科学革命や産業革命は、還元主義に基づいて成し遂げられたと言われています。いわば、人類の飛躍的な発展を支えた大成功したアイデアです。
しかし、どんなに優れたアイデアでも万能とは限らない・・・、という点に注意しておいていただきたいと思います。
【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
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今回は「アフォーダンス(その3)」です。
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誤解してはいけないのは、アフォーダンスは観察者の要求や状況によって、対象物に与えられる性質ではない。物が本来持っている誰にでも与えられる公共性のある情報なのである。
たとえば、ある人にはむき身のカキは「気持ち悪いよ」と語りかけるかもしれない。だからといってカキの食べれるという物理的な性質が変わるわけではない。カキは誰に対しても多くの情報を提供する。しかし、その情報を見つけ取り上げるのは、受け手の能力や状態であったりする。
「だからどうした」という読者の声が聞こえそうだ。「まるっきりのたわごとではないか」と。まったくだ。今のところ、このアイデアは脳性運動障害を理解することをアフォードしそうにないではないか。少し具体例を出さなければ。
「還元主義(その1)※」のところで父親の例を出した。自転車と壁の間の隙間を通るところをもう一度考えてみよう。最初壁と自転車で作られた隙間を前に、父親は通り抜けれないと言い、横歩きの戦略が出た後では、「通れるかも知れない」と言っている。この変化をどう理解したらいいだろうか?
※「還元主義(その1)」の該当部位は以下の通りです。
////////////////////////////////////////////////////////
自転車と壁の間の細い通路を前にして、父親は「わしはここを通れん。自転車を倒すじゃろう。」と言った。私の返事は、「横向きに歩いたら?」だ。父親は少なくとも家に帰ってからは、横歩きの練習などしたことがない。父親は思案した上、健側・患側それぞれの方向への横歩きを試した。結局、「通れるかもしれんのう」と言い、健側方向への横歩きで通り抜けた。
////////////////////////////////////////////////////////
還元主義では、要素に分解していく。この場合は、認知という要素が変化したのかも知れない。さて認知はどのように変化したのか、どの程度変化したのか?認知の変化の程度はどの程度、「通れる」「通れない」という結果に反映されるだろうか?
これを明確にしようとするのが還元主義的アプローチであるにも関わらず、これを明確にできないのが現状である。また仮に明確にしたところで、状況が異なれば変化してしまう、ごく一時的で特殊な関係に過ぎないかもしれない。
水はどんなに見た目が変わろうともH2Oだが、認知と「通れる」「通れない」の間の関係など、あやふやでいくらでも変化しそうである。つまり他の場面で応用のできるような普遍的な関係ではない。ただし、少なくともこれまでの物の見方、枠組みでは難しいということだ。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
アフォーダンスは公共性のある情報だということですが、これまでの物の見方、枠組みではアフォーダンスを理解することは難しい、とも述べられていますね。
何が難しいのかと言いますと、従来の物の見方とは異なるパラダイムを理解する必要があるからです。前回「ギブソンの主張はまるで、従来的な科学へ挑戦状を叩きつけているかのようですね」と書きましたが、それはまさしくギブソンが従来的な物とは異なるパラダイムを提唱しているからです。
この部分については、少し説明をしておかないと次へ進みにくいと思いますので、次回から一旦「アフォーダンス」を中断して取り上げていきます。
【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」の続きです。
前回「アフォーダンス」の導入の部分を紹介させていただきました。今回は、
その続きです。
まずは、論文を見てみましょう。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
アフォーダンスはギブソンの造語である。基になっているのはアフォードと言
う動詞で、「~できる、提供する」という意味を持つ。アフォーダンスとは環
境に存在する事物から、動物(人を含む)に与えられる価値や意味である。こ
れまでのところ、価値や意味は人が判断するものであると考えられている。と
ころがギブソンは、見る者によって左右されない普遍的な価値が物から提供さ
れると考えているのである。
たとえば、ある人がむき身のカキ(牡蛎)を見たとする。これまでの考えで
言うなら、過去に「食べることができる」という見るなり聞くなり食べるなり
の経験をしており、それを基にカキが自分に取って食物であるという意味を人
は判断するのである。しかしギブソンによるとそうではない。むき身のカキは
もともと「食べれるよ」と語りかけているのである。しかも観察者(つまり私
たちを含む動物)が空腹かどうかに関わりなく、語りかけているのである。
一つの物体はたくさんの情報を提供しており、どの情報が受け取られるかは
観察者との相互作用の結果による。台所の食卓の前の椅子を考えてみよう。普
通この椅子は「座って」と語りかける。このことを座ることをアフォードする
と表現しよう。幼児なら這いあがることをアフォードする。ゆで卵を持ったと
きに、座面でコンコン殻を割ることをアフォードするかも知れない。あるいは
夫婦喧嘩の中では、相手を打ち据えるために振り上げることをアフォードする
かも知れない(わが家の話ではない)。棚の上の物を取るときには、その上に
立つことを・・・きりがないのでやめる。
椅子が無限のアフォーダンスを持つように、私たちの暮らす環境も無限のア
フォーダンスを含んでいる。それらは知覚すべき物として常に存在する。それ
らにどのような価値を見いだすかは、観察者による。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
ここで、「アフォーダンスとは何か?」という部分が語られています。従来的
な考え方では、ある現象の意味や価値は、人が見い出すものだと考えられてい
ました。
しかし、ギブソンは環境からも普遍的な情報が提供されていると言います。結果
として、両者の相互作用によって、その時その場の状況に応じて、情報の意味
や価値が決まることになります。
ギブソンの主張はまるで、従来的な科学へ挑戦状を叩きつけているかのようで
すね。なぜなら、従来的な科学では「再現性」というものが重視され、「その時その場の状況によって、、」などという曖昧さは、徹底的に排除したいことのはずだからです。
はてさて、この後の展開やいかに・・
【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報
, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報
, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報
, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報
, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報
, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研
究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.
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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」の続きです。
前回「はじめに」の部分を紹介させていただきました。今回から本文の方に入って行き
ます。
一番最初に取り上げられているのは「アフォーダンス」です。
まずは、本文を見てみましょう。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
私が何か書くときは、女房にそのアイデアを聞いて貰い、意見を聞くことにしている。
彼女は養護学校の教員で、しばしば貴重な意見をくれる。今回、アフォーダンスに関す
る意見をまとめて聞いて貰った。彼女はいくつか質問を繰り返した後で次のように言っ
た。「なんだか、たわごとにしか聞こえないわね。」
アフォーダンスというアイデアを生み出したのは、ギブソンというアメリカの知覚心理
学者である。彼のアイデアは全く理解しがたいところがある。「認知心理学の父」と呼
ばれたナイサーが、ギブソンとの出会いを以下のように紹介している。
「初めて会ったとき、私は彼が単なる利口な人だと思っていました。やがて時が経つに
つれ、『まったく、なんて彼は頑固なやつなんだろう。どうして<情報は光の中にある
>なんていい続けているんだ?彼は議論が好きなだけなのさ。』と考えました。その後
三年、ある真夜中に、私は、彼が正しいと気づいて、飛び起きました。情報は光の中に
ある。だって、その他のどこにあり得るんですか。」
ナイサーでさえ、理解するのに三年の月日がかかったのだ。私がうまく説明できず、女
房が「たわごと」と感じても無理がない。
佐々木は以下のように述べている。「ギブソンには『読んで理解する』範囲を越える部
分がある。始めは何度読んでもなかなかわかった感じがしてこない。しかし、時間をか
けて繰り返しその考え方につきあっているとじわじわと変化してくる何かがある。そし
て、いつか、それまでとはまったく違う世界を見ていることに気がつく。」
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
アフォーダンスというのは、日本のPTの世界でも一時期少し流行りましたね。しかし、その本質を理解することは、そう簡単なことではなかったようです。
多くの場合、アフォーダンスという言葉を表面的に捉えて使っていたに過ぎず、その本質を捉えた臨床応用の試みというのは、少なくとも僕の知る限りでは、CAMR以上のものはありませんでした。
まだここでは、アフォーダンスとは何か、というところまでは触れられていませんので、また次回以降をお楽しみに。
※ギブソンの主著は「生態学的視覚論」です。
※「佐々木」とはアフォーダンスを日本に紹介した第一人者、現在、多摩美術大学教授の佐々木正人氏のことです。
【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報,
No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報,
No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8
No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8
No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8
No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会
報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.
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今回から「CAMRの胎動」というコーナーを設けました。
ここでは「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」の著者でCAMR研究会代表でもある西尾幸敏氏が、1995年から1996年にかけて上田法ジャーナルに連載投稿した論文「実用理論辞典-道具としての理論」を紹介していきます。
この論文はCAMR公式ホームページで全文閲覧できますので、興味を持たれた方は是非読んでみてください。
なぜこの論文を取り上げたかといいますと、読んでみてとても面白かったから、という極めて個人的な理由です。
いや、「面白かった」という表現は正しくないかもしれません。むしろ、「驚いた」といった方が近いかもしれません。
今から20年以上も前に、これほどの内容が書かれていたなんて!
本当に、いい意味でショッキングでした。
今現在と比べると、内容的には未熟で未完成な面もあるかもしれませんが、それを補って余りある魅力を持った論文です。
全体の構成は冒険的、革新的であり、その論点・論調は挑戦的、野心的でもあります。
そして何より驚いたのは、すでにCAMRの胎動が明らかに感じられるということです。実はCAMRは、20年以上も前からこの世に生を受けていたんですね。
さて、この論文では24項目にわたる理論の説明がなされていますが、その中で主だったものを紹介していきたいと思います。
まずは、論文の冒頭の部分を引用しておきます。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
はじめに
普段は明るい親友のA君の元気がないとする。ふさぎ込んで口もきいてくれない。あなたはいくつかの理論、つまり現象を説明するためのアイデアを考えるだろう。酒の飲み過ぎか、彼女に振られたか、病気にでもなったか。あなたはこれらの理論に基づいて行動を起こすだろう。たとえば、近づいて臭いを確かめる。酒臭くなければ、彼の女友達に電話して事情を聞くかも知れない。特に問題がなければ、あなたは病気を疑い、彼を病院につれていこうとするだろう。
理論は、「自然現象や社会現象がどうして起きるのかを説明するための抽象的なアイデア」である。私たちはそれを基に解決手段を導き出すことができる。つまり、理論は問題解決の道具と考えることができる。
臨床家にとっては、理論を道具とみなすことは都合がよい。理論の真偽を気にしなくて済むからだ。ある現象を説明するために二つの理論が存在するとする。しかし道具として考えるならば、どちらの理論が真実に近いとか考える必要はない。道具であれば用途によって、向き不向きがあるのが当然である。スープを飲むならスプーンが良いし、肉を食べるならフォークがよい。つまり真実に近いあるいは近くないなどと思い悩まなくて済む。単に使い方の問題と考えれば良い。
結局どのような旧式の理論でも、うまく使える場面があるはずだ。逆にどのような優れた理論にも限界がある。道具としてうまく使うためには、使用目的と向き不向き、使い勝手を十分理解しておく必要がある。この実用理論事典の目的は、臨床でまだ十分に道具として利用されていないアイデアを、臨床家が徹底的に道具として使用できるよう紹介することである。そうして、それを基に新しい評価法や訓練法のアウトラインを創り出していこうと思う。そのために、紹介されるアイデアは長所と限界が徹底的に追及されていくだろう。
はっきりさせておきたいのは、私の立場である。ここで紹介される視点や理解の仕方は、あくまでも私自身のものである。つまり一理学療法士の、そして学問的には素人の意見だ。しかも私自身はどちらかというと、自分のお気に入りの道具なら、誰彼構わず勧めてしまう人間である。セールスマンに近いのかもしれない。「どうぞお使いになってみてください。決して損はさせません。」と言うわけである。もっと学問的なものを望まれる人は、最後に挙げた文献を参考にして欲しい。
事典の最初の項目は、「アフォーダンス」から始まる。上田先生からの勧めでもあり、また私自身にとって、現在最もお気に入りの道具の一つである。普通の事典と違って、項目はあいうえおの語順に並べられたりしない。また、同じ項目が何度も繰り返しでてくる。一見すると無秩序に見えるが、ある秩序に従って書き進めてみるつもりである。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
【引用文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
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