アフォーダンス(その5)

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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」シリーズの続きで、今回はアフォーダンス(その5)です。
まずは、論文を見てみましょう。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆



私たちは「アフォーダンス理論」から何を学んできたのだろうか?まず「人の運動変化は環境に依存している」といった内容のことである。『依存する』とはどういうことか?それは「人は環境との相互作用の中で見いだす『意味』あるいは『価値』によって行動している」ということだ。つまり『意味』や『価値』によって運動を生じさせ、一瞬一瞬に変化させ、運動学習をし、長期的には運動を発達させる。逆に言えば『意味のない』あるいは『価値のない』ことは基本的に、人の運動に変化を起こさないし、学習もされない。



 訓練室でセラピストから教えられた運動パターンは、訓練室を出たとたんに消えてしまうケースは多い。なぜならその運動パターンは訓練室でしか意味を持たないからだ。それならば訓練室でやる訓練は無意味かと言えば、そうでもない。たとえば患者さんの痛みを弱めること、筋力を改善すること、関節可動域を改善すること、全身の持久力を改善することは患者さんの意味を見いだす能力を変化させるはずである。自分一人で立つのが精一杯だった人が、一人で10メートル歩けるようになったとする。これだけで環境に見いだされるアフォーダンスは随分変化するはずである。結果アフォーダンスの変化は新たに運動を変化させる。



 だがこの辺りは、従来の訓練法では元々視野に入っていない。従来の訓練法では、運動変化の原因をさまざまな構成要素に還元する。そしてその要素に働きかける。しかし、アフォーダンスに相当する視点が欠けていたのである。結果、運動変化の原因は、筋力だの関節可動域、あるいはセラピストのハンドリングなどに還元されてしまう。セラピストは運動変化が自律的に起きること、たとえば本当に生活に必要な運動変化が訓練室以外、つまり生活環境で起きていることを知らない。多くの患者さんは自分自身で、必要な運動変化を起こしていけるのだ。



 「運動を生じさせ、変化させ、学習させる意味」としてのアフォーダンスを運動変化の中心に据えることは、患者を自立した存在として扱うということだ。セラピストの仕事は、患者さんの意味を見いだす能力を変化させることだ。後は患者さん自身の環境で、患者さん自身にとって意味のある運動変化を、患者さん自身が生み出していく。我々セラピストは、運動変化のほんの「きっかけ」となっているに過ぎない。だが、我々セラピストだけが提供できる「きっかけ」がある。



 僕はもう少し、このアフォーダンスを意識した訓練体系を確立したい。たとえば運動変化は、セラピストのハンドリングや筋力増強訓練だけによって、あるいはそれを中心に起きているのではないのだということをはっきりさせたい。運動の変化は、セラピストによらずとも、もっと自律的に起きているのだ。つまりアフォーダンスを中心にして。「運動はアフォーダンスを変化させ、変化したアフォーダンスは運動を変化させる」といった辺りをうまく評価と訓練実施に結びつけたいと思っている。



 最後にもう一度まとめておく。「我々セラピストの仕事は、運動を直接変化させることではない。運動変化そのものは、アフォーダンスを中心に患者さんが行うのである。我々はそのアフォーダンス、「価値を見いだす能力」を変化させる。たとえば身体の物理的能力(筋力や関節可動域など)、動機付け、環境操作(装具や家屋改造)などの手段を用いることによってである。」



★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆



人の運動変化について考える際には、一時的な運動変化と持続的な運動変化と分けて考えた方がいいようですね。そういえば僕もまだ若くて経験も浅かった頃、講習会などに行くと、講師の先生がデモンストレーションをすると患者さんの姿勢がその場で目に見えて変わって、「おおぉ、すごい!」と思ったりしたものでした。



でも、結局これは一時的な変化にすぎないんですね。その後CAMRを学び経験を積んで、一時的な変化なんて、いとも簡単に生み出すことができることに気づきました。


もちろん、それはそれで使い道があるので悪い事ではありません。セラピスト自身が、その違いを理解していることが重要なのです。違いをわかったうえで意図的に一時的な変化を使ったり探索しているのなら良いのですが、この違いがわからずに、いつまでも一時的な変化だけを延々と繰り返しながら「粘り強く繰り返すことが大切です」などと耳障りが良くてもっともらしいことを言うしかないようではちょっと困りますね、ということです。


そして最後のほうで「アフォーダンスを意識した訓練体系を確立したい」と述べられていますが、これが少しずつ進化しながら後のCAMR構築につながっていきます。



【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.



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アフォーダンス(その4)

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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」シリーズの続きです。
ここしばらく「還元主義」について取り上げてきました。還元主義は現在でも主流のアイデアではありますが、それだけではうまく説明できない現象もたくさんあります。それならば、別の視点も身に付けておいた方が良いのではないだろうか? というわけです。



それを踏まえた上で「アフォーダンス」に戻ります。
まずは、論文を見てみましょう。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆



 私たちが環境から得ているアフォーダンスとは、結局知覚者にとっての価値あるいは意味のある情報のことである。環境はたくさんの情報を発している。と同時に、その情報を受けている私たち自身の体もたくさんの情報を発している。この二つの情報の相互作用から判断や行動が生まれる。私の親父が示した問題は、まさに自分自身の体が発している情報が急激に変化したため、知覚できる価値が変化してしまったということかもしれない。少し具体的に考えてみよう。



 佐々木がアフォーダンスの説明に使っている例を挙げてみよう。一本の橋がある。その橋は体重100キログラムの知覚者には「渡れない」と、体重50キログラムの知覚者には「渡れる」と知覚される。そこで50キログラムの人間に50キログラムの重りをつけることにする。重りをつけた途端に、それまで「渡れる」と知覚していた橋が「渡れない」と見え始めるわけではない。50キログラムの重りをつけた者が橋にある「渡れない」というアフォーダンスを知覚できるようになるまでは、かなりの時間をかけた環境との交渉の経験が必要だ。その後で、橋を片足で揺らしてみるかもしれない。これまで観察することのなかった橋の微妙なたわみに気がつくかもしれない。こうして「渡れない」というアフォーダンスを知覚できるようになる。



 親父の脳性運動障害を「重りをつけること」にたとえるのは少し安易だが、身体の発する情報が急激に変化したという意味では似たところもある。その変化によって、親父は適応的ではない行動や運動を繰り返す。しかし環境との相互作用を通じて再び、それまで見えていないアフォーダンスに気づき始める。たとえば退院当初は、孫たちが部屋中に散らかしたおもちゃを見て、「歩けん!」と怒っていた。床に所狭しとおかれたおもちゃやがらくたの類は、親父に「歩くことができん」とアフォードしていた。しかし現在では、あるおもちゃは「杖を使って向こうへ転がす」ことをアフォードするし、おもちゃ箱とクッションの間の隙間は、「割り込んで押しのけてしまう」ことをアフォードする。



 親父は環境を動き回ることによって、自分自身の潜在的な活動能力に気づきつつある。杖一本で障害物をどかし、テレビのスイッチを入れ、家具の足に持ち手をひっかけては、引っ張って立ち上がるなど。杖一本を使うにしても、様々な使い方、目的を持っていることに気づくようになる。障害物を避けるために横歩きの能力に気づき、孫がそばでうろうろしていることに対して自分の身が安全かどうかを判断するようになる。環境を知るための活動はまた、自分自身のことを知るための活動でもあったのだ。



 二年前、保健所の機能訓練事業で片麻痺のおじいちゃん、おばあちゃんにソーシャル・ダンスを教えたことがある。最初私には「どうせ正確にはできないんだから、できるようにやればいいや」という思いがあったし、彼らにしても「無理だ」という思いがあったらしい。ところがやっている間に不満が出始めたのである。それは「正しいダンスを教えてくれ」というものだ。実はその時点では、私自身も正しいルンバのステップを教えた方がいいと思い始めていた。できないと思っていたステップが、「実はできる」ということにお互い気づき始めていたのである。これも自分の身体の情報と回りの人たちからの情報との相互作用の結果、彼らのアフォーダンスが変化したからだと考えられる。かくして彼らは半年後に、発表会で華麗なボックスルンバを披露するに至った。誰一人自己流のステップで踊る人はいなかった。右片麻痺の人も左片麻痺の人もいろいろなパートナーと、同じステップで踊ることができるようになったのである。



 親父は発症後1年たつが、いまだに段の上り下りに「どっちの足から降りたらええんかいのう」とよく聞く。入院中に理学療法士から言われた「段を上がるときは良い方から、降りるときは悪い方から」ということに今でもこだわっているようだ。段を前にするとそのことを思い出し、そばに誰かいれば必ず聞くのである。「ええ方から上がりゃあよかったんかいのう。悪い方かいのう」



 もし自分で運動戦略を身につけたのなら、こんなことは起きないのだろう。最初に自分でいろいろ試す前に運動を他人に教えられたという経験が今でも残っているのではないだろうか。自分で試す前にすでに正解が存在しているとでも思っているのである。僕は必ず「好きな方から上がったら」といっている。そうすると使う脚は、状況に左右されることがわかる。本人はできると思ってやり、特に不安も感じていない。回りがとやかく言うよりも、自然に本人が学んでいく部分は多いのではないだろうか。


 「正解」として特定の数少ないパターンを教えることは、患者の選択肢を狭めることになるのかもしれない。また環境を探り自身のことを知る過程も、セラピストが教えたりすることではないかもしれない。患者さんは新しい身体状況とそれが環境との間に作り出す新しい関係を自ら学んでいけるのだから。だから私たちの仕事は教えることではなく、患者さんのアフォーダンスがより適応的に変化するよう手伝うことなのだろう。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆



最後の部分はとても示唆に富んでいます。
リハビリの臨床現場では、「正常運動パターン」を学習する、といったことがよく言われます。しかし、アフォーダンスを通して人の運動を眺めてみると、それがいかに的外れなことなのかがよくわかりますね。
反省しきりです・・・。



【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.



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還元主義(その4)

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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」シリーズ、「還元主義」の続きです。
まずは、論文を見てみましょう。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
これまで私たちが使っている評価というものは還元主義的なものだった。片麻痺患者の運動を理解するために、筋力や関節可動域や麻痺の程度、認知能力など運動の構成要素と考えられるものを調べ、それぞれの状態から全体の運動の振る舞いを理解しようとする。それはそれなりに重要なのだが、しかしながら人の体をたくさんの要素に分解して、私たちは満足のいく答えを得られるのだろうか、というのは前回言ったとおり。
 
「水を理解する」というところを思い出していただきたい。水を理解するために、水を水分子や水素や酸素の分子や原子に分解してそれぞれの振る舞いを理解するというのが還元的な見方である。もう一つは、水を私たちの五感で理解するというものだ。さて、この二つの見方に関しておもしろい例がある。
 
ゲーテとニュートンの『色の性質に関する主張』がそれである。二人とも光についての研究をしたのだが、それぞれに使った方法が違った。ニュートンはプリズムを通した光を白い面に写して観察した。こうすると光は虹色に分かれ、彼はそれぞれの色こそ、集まって白色光を構成する基本的な成分に違いないと考えた。またその違いは周波数の違いによって生じると考えた。物理学者によると赤という色は1メートルの620億分の1から800億分の1の波長で射す光のことらしい。
 
一方ゲーテの方もプリズムを使ったが、彼はプリズムを目に当てて光を直接自分の目で見るという方法をとった。するとどうだろう、澄んだ青空やきれいな紙の表面をみても何の変化も起きなかったのである。ところが紙の上に一点の汚れがあったり、青空に1つの雲があったりすると、突然さまざまな色が見え始める。こうしてゲーテは、色を生み出すのは「光と影の交換作用」であると結論する。
 
二人のアプローチもまたその結果も大きく違う。ニュートンは、色を物理学の枠組みでとらえた。彼は白色光がさまざまな色の光によって構成されると考えた。赤という色は、私たちの存在に関わりなく物理的に存在するらしい。一方、ゲーテは色を知覚の問題としてとらえた。色というのは人が知覚して初めて意味がある。ニュートンは還元主義であり、ゲーテは反還元主義あるいは全体論的である。多くの人はニュートンの方法の方が科学的だという印象を受けるだろう。事実ニュートンの方法は科学として認められ、ゲーテの方法は歴史の表舞台から消えてしまった。
 
しかし、ゲーテの方法の意味を考えてみよう。彼は色を人の存在あってのものと考えていたようだ。色を単に物理学の枠組みでとらえると、人間の感覚とは全く関係なく赤い色が存在するような気がするが、それは私たちにとって意味があるのだろうか?むしろ、私たち誰もが赤を赤と感じるという知覚を理解することが、私たちにとって意味のあることではないだろうか?荒涼とした無人の惑星のことを考えてみよう。その惑星には物理学的にさまざまな色が満ちあふれているかもしれない。しかしそれがどうしたというのだろう。色に対する興味などは私たちが存在して初めて意味のあることである。物理学の世界では、人と光が互いに切り放すことができないという点は無視されている。
 
このように現実の世界を、二つの視点から眺めることができる。1つは生態学的な視点である。生態学的な視点で語られるのは環境と動物の相互作用だ。動物と環境は切り放して考えることができない。動物は環境なくして生きていくことはできないし、環境とは生命体を含んだ世界である。つまり生命が存在しない世界は環境とはいえない。動物は環境の知覚者である。物理的な世界、すなわち原子や分子の存在や振る舞いを知覚しているわけではない。
 
もう一つは物理学的な視点である。これは原子よりもっと小さな世界から、銀河系を含む全宇宙までのすべてを包含している。物理学的な世界では、動物は複雑な運動をする「もの」として扱われる。現在の運動学や階層型のコントロール理論はそのような視点から人の運動を理解しようとする傾向がある。物理学的な視点はそれなりに非常に重要である。しかし基本的に人の運動を理解するためには、物理学的な視点は適していない。「環境を認知し環境内で行動する動物」としての人という視点を忘れては、人の運動など理解しえない。人を物として扱い、物理的な運動の側面のみを記述したところでいったい何の意味があるのだろうか。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
ニュートンとゲーテの光についての視点の違いは、とても興味深いですね。
 
現在ではもちろんニュートン的光観が主流です。例えば同じ色でも背景の色によって違う色に見えたりしますが、ニュートン的光観では、波長や周波数が同じなら「同じ色」だと判断します。従って、たとえ違う色に見えてもそれは間違って見ている、すなわち「錯覚」であると断言するわけです。
 
一方ゲーテ的光観では、違う色に見えているというその人の主観を大切にしています。
 
どちらが正しいのか、と問うことにはあまり意味がありません。理論とは、諸々の現象を説明するための道具にすぎないので、状況に応じて使い分ければ良いわけです。カレーを食べる時にはスプーンを使い、パスタを食べる時にはフォークを使うように。
 
それでは人の運動について考える時には、どちらの視点のほうが重要なのでしょうか?
 
「どちらが重要か?」と問われれば、どちらも重要だと答えます。しかし、「どちらをより学ぶ必要があるか?」と問われれば、迷わずゲーテの視点だと答えます。なぜなら、僕たちはすでにニュートンの視点に基づいて教育されているからです。ニュートンの視点はすでに身につけているので、新たに学ぶ必要があるのは圧倒的にゲーテの視点なのです。
 
一つの視点しか持たない場合より、二つの視点を状況に応じて使い分けることが出来た方が、より問題解決能力が高まることは容易に想像できるでしょう。さらに、ニュートンの視点を「客観」、ゲーテの視点を「主観」と置き換えると、人の感情や行動のトリガーとしてより大きな影響力を持つのは、間違いなく「主観」なのですから、これを学ばない手はありません。
 
 
【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31,

1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94,

1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135,

1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3,

p120-135, 1996.
 
 
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還元主義(その3)

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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」の続きです。
前回「還元主義」について紹介させていただきました。今回は、その続きです。
まずは、論文を見てみましょう。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
「何だ、ごく当たり前のことを言ってるじゃないか」と思われる人もいるに違いない。経験豊かな臨床家ほど、障害に対しては還元主義的なアプローチを取りながらも、患者さんの顔色や意欲や生き甲斐のようなものを決して軽視しない。患者にとって重要な要素は、身体の問題、ましてやたった一つの要素だけではないことを知っているからだろう。そんな人にとってみれば、当たり前のことを言っているにすぎない。しかし、患者さんの意欲があろうがなかろうが、訓練室に来た途端、顔色も見ないでひたすら姿勢反応の促通をしたり、麻痺側下肢の筋緊張の異常にアプローチするセラピストも多い。
 
それでも還元主義的な方法は魅力的である。特に固定的な関係を持った現象を理解するためには、還元主義は都合がよい。たとえば水を理解するために、酸素と水素からなる分子構造に還元することができる。「なるほど、水は酸素と水素からできているのか」と思えば、なんだか水のことがわかったような気になるから不思議だ。逆に酸素と水素から水を作り出すことも可能にする。なんと有意義な理解の仕方であろうかと思えてくる。
 
それでも私たちが実際に知っている様々な水の性質、濡れる、滲みる、流れるなどといった実感とは随分かけ離れた理解の仕方だ。私たちは実際にはもっと違った方法で水を良く理解している。手を浸す、色々な器に入れてみる、浴びる、飲む、温度を変えてみる、など。
 
同様に脳性運動障害、たとえば歩行をその構成要素に分解することは有意義かも知れないが、構成要素に分ければ分けるほど人の運動の特徴は、私たちの実感からかけ離れてしまう。過緊張の分布や関節可動域、健側筋力を調べたからと言って、そのバラバラの情報から歩行の様子を想像することは難しい。
 
さらに、人の歩行の構成要素の振る舞いやその関係は水の構成要素ほど、一定した物ではない。常に変化し、捉えどころのない振る舞いであり、関係である。そんな複雑な関係をバラバラにして、より複雑な分析を行うなどナンセンスである。
 
ある現象が様々な構成要素の結果であると言うことはみんな知っている。しかしいくつの構成要素が関係していようと、でてくる結果は、結局一つなのだ。わざわざ構成要素に分解しなくても、その結果がどのような物かを理解する方法があるのではないだろうか?たとえば幼い子どもは、水が水素と酸素からできていることを知らないが、生きていくために水がどのような物かをちゃんと理解しているように。その理解のための方法の一つがアフォーダンス理論かも知れないと私は考えている。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
要素に分けて分析することは確かに良い方法の一つではありますが、時にそれは僕たちの実感からかけ離れてしまうことがあるようです。
 
科学革命が起こる以前では、この世界とはまさに僕たちの目に見えている通りの物でした。しかし、顕微鏡や望遠鏡が発明されると、それまで見えなかったものまで見えるようになってしまいました。顕微鏡や望遠鏡を通して見る世界とは、それまで僕たちの目に見えていたものとはまったく別の、異世界とさえ思えるようなものを映し出すこともあります。
 
もちろんそれは素晴らしい事なのですが、その一方でもっと僕たちの実感を大切にするという立場も忘れないようにしたいものですね。
 
 
【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8, No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8, No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8,
No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.
 
 
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還元主義(その2)

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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」の続きです。
前回「還元主義」について紹介させていただきました。今回は、その続きです。
まずは、論文を見てみましょう。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
この考え方は、比較的原因のはっきりしている疾患では有効である。たとえば下腿骨折後に長期間ギプス固定をしている患者さんの問題点なら、私たちは比較的簡単に挙げることができる。つまり筋力低下と関節可動域低下である。もちろん意欲や痛みも大事な要素だが、多くの場合は筋力と関節可動域の改善によって患者さんの運動を改善することができる。一般にはこの二つに原因を還元することによって、私たちは分析に時間やエネルギーを使うことなく短時間に患者の問題を改善できるわけだ。
 
長い間、脳性運動障害においても還元主義が支配的であった。脳性運動障害の原因は、様々なものに還元されてきた。筋緊張の異常や姿勢反射の異常、相反性メカニズムの異常などだ。ボバース法はまさにこの3つの要素に原因を還元してきたと思われる。上田法は一面では、過緊張に原因を還元してきたように思う。
 
この還元主義に対する反論は以下のようなものである。世の中の多くの現象は、様々な要素からなり、その相互作用の結果である。たった一つのあるいは少数の原因に還元しきれるものではない。ある原因に還元している中では、切り捨てられてしまう大事な要素があるのだ、と。また複雑なシステムでは、ある現象を決定するような重要な要因は、場面場面で変わってくることがある。Aという場面ではBという要因が、Cという場面ではDという要因が決定的な役割を演じるかもしれない。
 
先の歩行の例を考えてみよう。体幹機能の低下がもっとも重要な役割を演じていると考えられるなら、セラピストは自然にその点に集中する。こうしてはからずも、他の部分は切り捨てられてしまう可能性が高い。一見すると重要な要素に集中しているようだし、問題もないと思われるが、状況が変われば全体のイメージも大きく変化してくるのである。そのような例を以下に挙げてみよう。
 
私の父親は片麻痺である。彼の歩行を決定する要因はしばしば変化する。家の前には急な坂道があり、退院以来そこを歩いたことがない。「自分には急すぎる。」というのだ。さて私はPTでありながら、家庭内で訓練などしたことがない。しかしあまり母親がうるさく言うので、私は訓練をすることになった。父親はよほど嬉しかったらしく、随分一生懸命に動いた。私の指示通り、「やってみよう」と言い、その急な坂道を降りて登った。
 
まだある。自転車と壁の間の細い通路を前にして、父親は「わしはここを通れん。自転車を倒すじゃろう。」と言った。私の返事は、「横向きに歩いたら?」だ。父親は少なくとも家に帰ってからは、横歩きの練習などしたことがない。父親は思案した上、健側・患側それぞれの方向への横歩きを試した。結局、「通れるかもしれんのう」と言い、健側方向への横歩きで通り抜けた。
 
つまりこれらの例が示しているのは、歩行に大きな影響を与える決定要因は、場面場面で変化するということだ。急な坂道では意欲が、狭い通路では、どのように体を使うかという運動戦略が重要な決定因となったことが考えられる。麻痺の程度や健側の筋力は変化していないからだ。ある場面で、最も重要な構成要素が決定されても他の場面では違う構成要素が重要な働きをするかも知れない。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
還元主義は、比較的原因がはっきりしている場合には非常に効率的で効果的なことを述べたうえで、その弱点にも言及しています。
 
世の中の複雑な現象は必ずしも少数の原因に還元しきれるものではない、ということと、仮に原因らしき要素を絞れたとしても、状況に応じて重要な役割を果たす要素が変化する可能性が指摘されています。
 
この辺りは、とても的を得た指摘のように思えるのですが、いかがでしょうか?
 
もうしばらく、著者の主張に耳を傾けてみましょう。
 
【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.

 
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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」の続きです。
「これまでの物の見方、枠組みではアフォーダンスを理解することは難しい」ということでしたので、今回から「アフォーダンス」の項を一旦中断して、異なるパラダイムについて取り上げます。
 
まずは、従来的な物の見方である「還元主義」に焦点を当ててみましょう。
論文から引用してみます。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
成人片麻痺患者の歩き方を理解してみよう。現在の臨床での普通のやり方は、まず歩行を良く観察することから始まる。そして一般的な歩行と比べて、どこがどう違うのかが記録される。そしてそのような違いがどうして生じたのかを考えていく訳だ。
 
手がかりとして、患側下肢の麻痺の程度が調べられる。連合反応や各反射の影響、平衡反応・立ち直り反応の消失のレベル、患肢の粗大筋力や健肢の筋力、関節可動域などが調べられる。さらに感覚や認知の検査が行われる。動機や意欲も評価されるかも知れない。
 
上に調べられた検査項目は、一枚一枚の紙に記され、カルテに挟まれる。熟練したセラピストがそのカルテをぱらぱらとめくると、どうしてその片麻痺患者がそのような歩行をするのかが、直感的にわかるらしい。もっとも学生や経験の浅いセラピストには難しい。私にも難しい。そこでこのやり方がさらに将来進歩したと考えてみよう。
 
このやり方のポイントは、歩行を構成する色々な要素に分け、そのそれぞれの要素がどのように振る舞っているかを明確にするところだ。たとえば滑らかな平地歩行で、ある患者さんの歩行には、体幹機能の低下が70%の影響力を持っている。患側下肢の麻痺が15%、健側下肢の筋力が10%、意欲その他が5%の影響力を持っている、といったことが明確になったとしよう。
 
仮に上のような割合が明らかになれば、患者さんの歩行を変化させるためには、体幹の機能を改善しなければ意味がなくなる。何しろこれが患者さんの歩行に70%の影響力を持っているのだから。最初に10%にすぎない健側下肢筋力などに働きかけようとは思うまい。体幹の安定性が得られないために、代償的に下肢の痙性による尖足を強めるなどと考察すれば、まず体幹の安定性こそが重要な課題となる。
 
このような考え方は還元主義と呼ばれる。たとえば片麻痺患者の歩行パターンなどは、それを構成する様々な要素からなる複雑な現象であり、これを理解するのは並大抵ではないと思われる。しかし、その複雑さは表面的なもので、より基本的で大きな影響力を持った要素、より重要な働きをする要素の振る舞いを理解できれば、その根元的な性質を理解できるとするような考え方である。上の例では、体幹の機能低下が最も重要な要素であり、それによって様々な歩行の性質(尖足、膝のロッキング、分回し歩行など)が説明できると考えるのである。つまり体幹機能に原因を還元(より根元的なものとして他の要らないものを切り捨てること)しているのである。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
要するに、ある現象を理解する際、わかりやすくするために細かい要素にわけて分析していくという考え方ですね。
 
これは非常に有用で強力なアイデアです。実際に科学革命や産業革命は、還元主義に基づいて成し遂げられたと言われています。いわば、人類の飛躍的な発展を支えた大成功したアイデアです。
 
しかし、どんなに優れたアイデアでも万能とは限らない・・・、という点に注意しておいていただきたいと思います。
 
【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.

 
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アフォーダンス(その3)

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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」の続きです。
今回は「アフォーダンス(その3)」です。
まずは、論文を見てみましょう。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
誤解してはいけないのは、アフォーダンスは観察者の要求や状況によって、対象物に与えられる性質ではない。物が本来持っている誰にでも与えられる公共性のある情報なのである。
 
たとえば、ある人にはむき身のカキは「気持ち悪いよ」と語りかけるかもしれない。だからといってカキの食べれるという物理的な性質が変わるわけではない。カキは誰に対しても多くの情報を提供する。しかし、その情報を見つけ取り上げるのは、受け手の能力や状態であったりする。
 
「だからどうした」という読者の声が聞こえそうだ。「まるっきりのたわごとではないか」と。まったくだ。今のところ、このアイデアは脳性運動障害を理解することをアフォードしそうにないではないか。少し具体例を出さなければ。
 
「還元主義(その1)※」のところで父親の例を出した。自転車と壁の間の隙間を通るところをもう一度考えてみよう。最初壁と自転車で作られた隙間を前に、父親は通り抜けれないと言い、横歩きの戦略が出た後では、「通れるかも知れない」と言っている。この変化をどう理解したらいいだろうか?
 
※「還元主義(その1)」の該当部位は以下の通りです。
////////////////////////////////////////////////////////
自転車と壁の間の細い通路を前にして、父親は「わしはここを通れん。自転車を倒すじゃろう。」と言った。私の返事は、「横向きに歩いたら?」だ。父親は少なくとも家に帰ってからは、横歩きの練習などしたことがない。父親は思案した上、健側・患側それぞれの方向への横歩きを試した。結局、「通れるかもしれんのう」と言い、健側方向への横歩きで通り抜けた。
////////////////////////////////////////////////////////
 
還元主義では、要素に分解していく。この場合は、認知という要素が変化したのかも知れない。さて認知はどのように変化したのか、どの程度変化したのか?認知の変化の程度はどの程度、「通れる」「通れない」という結果に反映されるだろうか?
 
これを明確にしようとするのが還元主義的アプローチであるにも関わらず、これを明確にできないのが現状である。また仮に明確にしたところで、状況が異なれば変化してしまう、ごく一時的で特殊な関係に過ぎないかもしれない。
 
水はどんなに見た目が変わろうともH2Oだが、認知と「通れる」「通れない」の間の関係など、あやふやでいくらでも変化しそうである。つまり他の場面で応用のできるような普遍的な関係ではない。ただし、少なくともこれまでの物の見方、枠組みでは難しいということだ。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
アフォーダンスは公共性のある情報だということですが、これまでの物の見方、枠組みではアフォーダンスを理解することは難しい、とも述べられていますね。
 
何が難しいのかと言いますと、従来の物の見方とは異なるパラダイムを理解する必要があるからです。前回「ギブソンの主張はまるで、従来的な科学へ挑戦状を叩きつけているかのようですね」と書きましたが、それはまさしくギブソンが従来的な物とは異なるパラダイムを提唱しているからです。
 
この部分については、少し説明をしておかないと次へ進みにくいと思いますので、次回から一旦「アフォーダンス」を中断して取り上げていきます。
 
【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.
 
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アフォーダンス(その2)

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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」の続きです。
前回「アフォーダンス」の導入の部分を紹介させていただきました。今回は、

その続きです。
まずは、論文を見てみましょう。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
アフォーダンスはギブソンの造語である。基になっているのはアフォードと言

う動詞で、「~できる、提供する」という意味を持つ。アフォーダンスとは環

境に存在する事物から、動物(人を含む)に与えられる価値や意味である。こ

れまでのところ、価値や意味は人が判断するものであると考えられている。と

ころがギブソンは、見る者によって左右されない普遍的な価値が物から提供さ

れると考えているのである。
 
たとえば、ある人がむき身のカキ(牡蛎)を見たとする。これまでの考えで

言うなら、過去に「食べることができる」という見るなり聞くなり食べるなり

の経験をしており、それを基にカキが自分に取って食物であるという意味を人

は判断するのである。しかしギブソンによるとそうではない。むき身のカキは

もともと「食べれるよ」と語りかけているのである。しかも観察者(つまり私

たちを含む動物)が空腹かどうかに関わりなく、語りかけているのである。
 
一つの物体はたくさんの情報を提供しており、どの情報が受け取られるかは

観察者との相互作用の結果による。台所の食卓の前の椅子を考えてみよう。普

通この椅子は「座って」と語りかける。このことを座ることをアフォードする

と表現しよう。幼児なら這いあがることをアフォードする。ゆで卵を持ったと

きに、座面でコンコン殻を割ることをアフォードするかも知れない。あるいは

夫婦喧嘩の中では、相手を打ち据えるために振り上げることをアフォードする

かも知れない(わが家の話ではない)。棚の上の物を取るときには、その上に

立つことを・・・きりがないのでやめる。
 
椅子が無限のアフォーダンスを持つように、私たちの暮らす環境も無限のア

フォーダンスを含んでいる。それらは知覚すべき物として常に存在する。それ

らにどのような価値を見いだすかは、観察者による。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
ここで、「アフォーダンスとは何か?」という部分が語られています。従来的

な考え方では、ある現象の意味や価値は、人が見い出すものだと考えられてい

ました。
 
しかし、ギブソンは環境からも普遍的な情報が提供されていると言います。結果

として、両者の相互作用によって、その時その場の状況に応じて、情報の意味

や価値が決まることになります。
 
ギブソンの主張はまるで、従来的な科学へ挑戦状を叩きつけているかのようで

すね。なぜなら、従来的な科学では「再現性」というものが重視され、「その時その場の状況によって、、」などという曖昧さは、徹底的に排除したいことのはずだからです。
 
はてさて、この後の展開やいかに・・

 
【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報

, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報

, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報

, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報

, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報

, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研

究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.

 
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アフォーダンス

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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」の続きです。
前回「はじめに」の部分を紹介させていただきました。今回から本文の方に入って行き

ます。
一番最初に取り上げられているのは「アフォーダンス」です。
まずは、本文を見てみましょう。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
私が何か書くときは、女房にそのアイデアを聞いて貰い、意見を聞くことにしている。

彼女は養護学校の教員で、しばしば貴重な意見をくれる。今回、アフォーダンスに関す

る意見をまとめて聞いて貰った。彼女はいくつか質問を繰り返した後で次のように言っ

た。「なんだか、たわごとにしか聞こえないわね。」
 
アフォーダンスというアイデアを生み出したのは、ギブソンというアメリカの知覚心理

学者である。彼のアイデアは全く理解しがたいところがある。「認知心理学の父」と呼

ばれたナイサーが、ギブソンとの出会いを以下のように紹介している。
 
「初めて会ったとき、私は彼が単なる利口な人だと思っていました。やがて時が経つに

つれ、『まったく、なんて彼は頑固なやつなんだろう。どうして<情報は光の中にある

>なんていい続けているんだ?彼は議論が好きなだけなのさ。』と考えました。その後

三年、ある真夜中に、私は、彼が正しいと気づいて、飛び起きました。情報は光の中に

ある。だって、その他のどこにあり得るんですか。」
 
ナイサーでさえ、理解するのに三年の月日がかかったのだ。私がうまく説明できず、女

房が「たわごと」と感じても無理がない。
 
佐々木は以下のように述べている。「ギブソンには『読んで理解する』範囲を越える部

分がある。始めは何度読んでもなかなかわかった感じがしてこない。しかし、時間をか

けて繰り返しその考え方につきあっているとじわじわと変化してくる何かがある。そし

て、いつか、それまでとはまったく違う世界を見ていることに気がつく。」
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
アフォーダンスというのは、日本のPTの世界でも一時期少し流行りましたね。しかし、その本質を理解することは、そう簡単なことではなかったようです。
 
多くの場合、アフォーダンスという言葉を表面的に捉えて使っていたに過ぎず、その本質を捉えた臨床応用の試みというのは、少なくとも僕の知る限りでは、CAMR以上のものはありませんでした。
 
まだここでは、アフォーダンスとは何か、というところまでは触れられていませんので、また次回以降をお楽しみに。
 
※ギブソンの主著は「生態学的視覚論」です。
※「佐々木」とはアフォーダンスを日本に紹介した第一人者、現在、多摩美術大学教授の佐々木正人氏のことです。

 
【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報,

No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報,

No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8

No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8

No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8

No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会

報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.
 
 
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CAMRの胎動-解題!実用理論辞典

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今回から「CAMRの胎動」というコーナーを設けました。
ここでは「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」の著者でCAMR研究会代表でもある西尾幸敏氏が、1995年から1996年にかけて上田法ジャーナルに連載投稿した論文「実用理論辞典-道具としての理論」を紹介していきます。
 
この論文はCAMR公式ホームページで全文閲覧できますので、興味を持たれた方は是非読んでみてください。
 
なぜこの論文を取り上げたかといいますと、読んでみてとても面白かったから、という極めて個人的な理由です。
 
いや、「面白かった」という表現は正しくないかもしれません。むしろ、「驚いた」といった方が近いかもしれません。
 
今から20年以上も前に、これほどの内容が書かれていたなんて!
 
本当に、いい意味でショッキングでした。
 
今現在と比べると、内容的には未熟で未完成な面もあるかもしれませんが、それを補って余りある魅力を持った論文です。
 
全体の構成は冒険的、革新的であり、その論点・論調は挑戦的、野心的でもあります。
 
そして何より驚いたのは、すでにCAMRの胎動が明らかに感じられるということです。実はCAMRは、20年以上も前からこの世に生を受けていたんですね。
 
さて、この論文では24項目にわたる理論の説明がなされていますが、その中で主だったものを紹介していきたいと思います。
 
まずは、論文の冒頭の部分を引用しておきます。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
はじめに
 
普段は明るい親友のA君の元気がないとする。ふさぎ込んで口もきいてくれない。あなたはいくつかの理論、つまり現象を説明するためのアイデアを考えるだろう。酒の飲み過ぎか、彼女に振られたか、病気にでもなったか。あなたはこれらの理論に基づいて行動を起こすだろう。たとえば、近づいて臭いを確かめる。酒臭くなければ、彼の女友達に電話して事情を聞くかも知れない。特に問題がなければ、あなたは病気を疑い、彼を病院につれていこうとするだろう。
 
理論は、「自然現象や社会現象がどうして起きるのかを説明するための抽象的なアイデア」である。私たちはそれを基に解決手段を導き出すことができる。つまり、理論は問題解決の道具と考えることができる。
 
臨床家にとっては、理論を道具とみなすことは都合がよい。理論の真偽を気にしなくて済むからだ。ある現象を説明するために二つの理論が存在するとする。しかし道具として考えるならば、どちらの理論が真実に近いとか考える必要はない。道具であれば用途によって、向き不向きがあるのが当然である。スープを飲むならスプーンが良いし、肉を食べるならフォークがよい。つまり真実に近いあるいは近くないなどと思い悩まなくて済む。単に使い方の問題と考えれば良い。
 
結局どのような旧式の理論でも、うまく使える場面があるはずだ。逆にどのような優れた理論にも限界がある。道具としてうまく使うためには、使用目的と向き不向き、使い勝手を十分理解しておく必要がある。この実用理論事典の目的は、臨床でまだ十分に道具として利用されていないアイデアを、臨床家が徹底的に道具として使用できるよう紹介することである。そうして、それを基に新しい評価法や訓練法のアウトラインを創り出していこうと思う。そのために、紹介されるアイデアは長所と限界が徹底的に追及されていくだろう。
 
はっきりさせておきたいのは、私の立場である。ここで紹介される視点や理解の仕方は、あくまでも私自身のものである。つまり一理学療法士の、そして学問的には素人の意見だ。しかも私自身はどちらかというと、自分のお気に入りの道具なら、誰彼構わず勧めてしまう人間である。セールスマンに近いのかもしれない。「どうぞお使いになってみてください。決して損はさせません。」と言うわけである。もっと学問的なものを望まれる人は、最後に挙げた文献を参考にして欲しい。
 
事典の最初の項目は、「アフォーダンス」から始まる。上田先生からの勧めでもあり、また私自身にとって、現在最もお気に入りの道具の一つである。普通の事典と違って、項目はあいうえおの語順に並べられたりしない。また、同じ項目が何度も繰り返しでてくる。一見すると無秩序に見えるが、ある秩序に従って書き進めてみるつもりである。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
【引用文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.

 
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