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因果関係論

目安時間:約 5分

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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」シリーズの続きで、今回は因果関係論です。
まずは、論文を見てみましょう。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆



 さて、因果関係について少し考えてみよう。ビアが自動車の例を扱っているのでこれを使ってみる・・・



 非常に分析的だが、まだ一度も自動車を見たことがない人がいたとする。彼が道路端に座って、自動車というものを観察する機会を得る。彼は次のように考えるだろう。「どうやら自動車というものは、人やものをある場所から他の場所へと運ぶ機械であるらしい」



 そのうち一台の自動車が彼の前で止まる。どうやら動かなくなってしまったようだ。運転手が降りてきて、ラジエーターのキャップをはずし、水を注ぎ込む。その後再び自動車は走り始める。機械一般が外部からの燃料補給を必要とするところから、観察者は「自動車は水を燃料として動く機械である」と考えるかもしれない。無理からぬことである。水は紛れもなく自動車に対する入力であり、走るというのはそれに続く出力である。二つの出来事は時間の経過と共に起こる。



 このように因果関係論というのは、現象の過程そのものではなく、観察者の心の中で創られた物語である。自動車のシステムを観察者が外から眺めて、そう認知したというだけなのだ。



 もし何が起きているのか正確に理解したければ、自動車のことを良く知っておく必要がある。知っていればラジエーターに水を入れることの意味は誤解されることはない。このことは正常運動変化や脳性運動障害を見る場合にも言えることなのだろう。私たちは人の運動とは何かと言うことを良く知っておく必要がある。ところが実際には、医師・理学療法士・作業療法士の間で、運動とは何かについて議論されることはまれである。私たちはまるでそんなことはもう分かっているかのように振る舞うことが多い。ところがちっとも分かってなんかいないのだ。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆



僕たちは、ある現象を理解しようとする際に、因果関係を想定することがよくあります。例えば、〇〇が原因で、□□という結果になった、というふうに。
ところが、そう考える根拠は?というと、実はかなりあいまいです。



哲学者の大森荘蔵によると、そのように直線的な因果関係を想定できるような現象はほとんどない、と言っています。そのために、彼は因果関係という言葉は使わずに因果連関という言葉を使っているくらいです。



僕たちセラピストも、何らかの問題があれば「その原因は?」と考えることが多いと思います。しかし、人の運動システムというのはまだよくわかっていないことがたくさんあります。



上の引用にあるビアの例のように、あまりよくわかっていないシステムにおいて安易な因果関係を想定すると、間違ってしまう可能性があるということは理解しておいた方が良いでしょう。



【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.



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カオス(その1)

目安時間:約 7分

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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」シリーズの続きで、今回はカオス(その1)です。
流れ的には少し振り出しに戻るような感じなのですが、とても重要な内容ですので取り上げました。
まずは、論文を見てみましょう。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆



 これまでのところ、複雑な現象をそれぞれ単独の構成要素に分解して、その振る舞いを調べても結局全体の結果との関係を明確にできない、と述べてきた。そこで関係を明確にするための尺度をこれまでとはまるっきり変えてみたらどうだろう。まるっきりこれまでとは違う尺度で同じ現象を見ると、それまではっきりしなかった物が明確になってくることがある。



 丁度、最近流行の立体図を見るような物だ。普通に見る限りでは、ランダムな点の集合にしか見えないのだが、寄り目になるようにして見ると、突然そのランダムな点の図から、鮮明な立体像が浮き出すのである。そのこれまでとはまるっきり違った尺度を提供するのが、アフォーダンス理論やこのカオス理論であると私は考えている。



 さて、カオスとは何だろうか?私の考えるところでは、(ほんとに私は勝手にものを考えるのが好きである)カオスは、ある現象の性質を表す言葉である。たとえば祭りという現象を言い表すときには、「にぎやか」とか「心うきうき」、「非日常的」などと表現する。どの表現もそれなりにしっくりくるものである。



 ところが世の中には、なんと表現して良いのかわからない性質がある。たとえば人の運動である。以前述べたように、人は同じ運動を繰り返すのが苦手である。プロゴルファーのスウィングを分解写真のような物で記録してみよう。一回一回で見ると、決して細かいところは同じ運動を繰り返していないことがわかる。プロでさえそうなのだから、アマチュアはどんなにひどいことか。それにも関わらず、全体としては紛れもなく、見てそれと分かるその人固有のフォームを作る。つまり同じ運動を繰り返していないのに、その人らしさを失うこともない。細かいところは違っていても、その人の雰囲気だけは安定している。



 また従来複雑な予測しがたい現象は複雑なシステムから、簡単な現象は簡単なシステムから生じると考えられてきた。ところが人のような複雑な運動システムからは「位相図」で述べたような比較的安定した単純な運動が出てくるし、水を温めるといった単純なシステムから、予測不可能な複雑な運動が生まれる。このような性質も言い表しがたい。



 しだ類のような植物を見てみよう。茎の分かれ方や葉の付き方は、一見すると規則正しく見えるのだが、良く見るといくつも不規則さを見つけだせる。子どもの頃、規則正しくないのが納得できず、次から次へと枝を取っては確かめたことがある。葉の付き方などになんだかそれらしいきまりが見られそうなのだが、あるいは直感的にはきまりがあるはずだと思いながらも、それを見つけられないもどかしさがあった。実際には2~3の簡単な規則で、しだの葉の形はコンピュータ上に再現できるのであるから、直感は正しかったわけだ。いずれにしても見ただけでは、規則正しいとも正しくないともいいがたい。



 前項の「位相空間」を見ていただきたい。人の運動は決して前と同じ軌跡を繰り返さない。しかも中には随分違った軌跡もある。だからといって、この運動の性質を規則正しくないとは言えない。なぜならその軌跡は飛び出すことなくある範囲内にとどまっている。これは正確に同じ軌跡を繰り返すと言った秩序ではないが、無秩序とは言えない何らかの秩序を持っているのに違いない。その性質、これまでの見方では秩序など見られないのだが、それでも何らかの秩序を持っているといった性質をカオスと(カオス学者達は)呼んでいるのではないだろうか。



 カオスは従来、「無秩序」と訳されてきたが、この訳語がふさわしくないのは上に述べたとおり。とりあえずここでは従来の見方では秩序があるとは言えないが、決して無秩序とは言えない性質をカオスと呼ぶことにする。



 このカオスと呼べる性質を持った現象は身の回りにたくさんあるらしい。株価の変動から、日々繰り返す天気、生物の個体数の増減、心臓の鼓動、呼吸・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その他たくさん。



ここで言っておきたいのは、もし人の運動がカオスという性質を持っているなら、その運動を変化させようとする私たちはそれを知っておく必要があるのではないだろうか、ということだ。そのうち、このアイデアを基にした運動変化のモデルが本シリーズで紹介される予定である。そのモデルからは訓練場面での新しい価値や意味が提案されるはずである。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆



カオスや複雑系と言ったアイデアが一時期流行りましたね。これらは画期的なアイデアで、世界がこれまでとは違ったふうに見えるような気がしたものでした。
そして、人の運動を見る際にもとても示唆に富んだ視点を提供してます。大まかな内容くらいは理解しておきたいものですね。



【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.



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生態学的測定法(その2)

目安時間:約 7分

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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」シリーズの続きで、今回は生態学的測定法(その2)です。
まずは、論文を見てみましょう。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆



ここではこのアイデアを違った視点から検討してみたい。私の勉強会の学生の一人はこのアイデアに即座に反論した。「どのくらいの幅なら通れるか、通れないかを判断してもらってもしかたないんじゃありませんか。実際にできるかどうかが問題だと思います。いくらできると判断しても実際にはできないこともあるんですから。実際に通ってもらって最小の幅をその人の能力と考えるべきではありませんか。」つまりその人がどう判断するかよりも、その人が実際に持っている物理的な能力の方が重要なのだ、とその学生は言いたかったのである。案外、生態学的な視点と物理学的な視点との境界線はそのあたりにあるのだろう。



 実際には、「できる」と考えることと「できない」と考えることは大きな結果の違いを生む。少し話をそらします。私がアメリカに留学しているときに、一人の若い日本人と友人になった。二人とも同じ英会話学校に通い、ともに「トシ」というニックネームを持っていた。彼は何事にも積極的で、よく私を誘っていろいろなところに行き、いろんなものを食べ、いろんな人と友達になった。一方私と言えば、彼のする事をそばで見ていたものだ。元来引っ込み思案でもあるが、心に常にあったのは「私は英語が理解できないし、しゃべれないからな」という思いであった。「もう少し理解できれば、もう少し話せれば、いろんな経験ができるのに・・・・」という無念の思いであった。ところがある日、英会話の能力試験を受けた結果、もう一人の「トシ」の英語の理解力は私とたいして変わらないことを知って愕然とした。私は自分自身会話ができないと思うことにより、自らの行動を制限していたのである。実際にもう一人の「トシ」と同じ程度の能力を持っているかどうかが問題なのではなく、その能力を使えるかどうか、つまり「できる」と思えるかどうかが問題だったのだ。



 これまでは実際にできる、できないだけが評価の基本だった。実際に「できる」「できない」だけを評価するのは、英会話の試験のようなもので、必ずしも日常生活の様子を反映していない。また筋力検査や関節可動域の測定は、物理学の視点から能力を見ているにすぎない。それによって測定された能力が、うまくがたがた道で発揮できるかどうかはまた別問題である。人は機械ではない。だからこそ、生態学的な枠組みが必要になってくるのではないだろうか。



 実際「できる」と思えることは、その人の実生活での行動範囲を広げることになる。そういった判断が、訓練と共に変化するとすれば、それこそ私たちの知りたいことではないだろうか。ある人が、自らの身体の物理的な能力がある環境の中でどのように発揮されると考えるかを評価するのは、人と「環境」との相互作用である運動を見ていくことになるのである。



 もちろん、実際にやってもらうことも必要だ。患者さんができると思っても実際には失敗するかもしれない。そこで僕は、「人の判断」を中心にして、それに続く「実際の運動」を絡めて、運動評価の基本にしようと提案しているわけである。が、これを実行しようとするといくつかの問題が出てくる。この問題は次回から検討しよう。



 留学したての頃には、レストランの前でよく自問自答したものだ。「うまくやれるか?」「やっぱりやめとこう、大学のカフェテリアまで我慢しよう。あそこならうまくやれる。」それから8カ月くらいたった頃には、私一人での行動範囲はかなり広がった。初めてのレストランを前にして、「うまく振る舞えるか?」「まあ、なんとかなるだろう。」と思うから、その店に入り貴重な経験が積めたのである。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆



従来的な評価項目というのは物理的な視点に偏りすぎているのかもしれません。しかし実際の人の運動を見ると、行為の前提条件として、その行為の安全性や可能性について自覚的にせよ無自覚的にせよ何らかの判断をしていると思われます。



道を歩いていて前方に溝があったとしても、その幅が20cm程度なら簡単に跨ぎ越してしまうでしょうけど、幅150cmだったらどうでしょうか? 
安全に溝を跨ぎ越すことができない、あるいはできるかどうかわからないと思ったら、一旦歩くのをやめて、もっと幅が狭くなっているところを探したりするかもしれませんね。



生態学的な枠組みというのは、このような行為の前提条件さえも視野に含んでいます。運動に関わる専門家にとって、とても重要な視点を提供してくれているように思うのですが、いかがでしょうか?



【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.



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