運動学習(その1)

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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」シリーズの続きで、今回は運動学習(その1)です。
まずは、論文を見てみましょう。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆



 シュミットによると、「訓練によって起こる持続的(半永久的)な運動変化」のことである。長い間この分野では、ある思いこみが存在していた。たとえば、「豊かなフィードバックはより良い運動学習を生む」というのものだ。特に小児の分野では、「豊かなフィードバックによって動機を高め、より適応的な行動を導き出す」とする行動療法などの影響もあって、私たちセラピストも「より早く、より適当なフィードバックをたくさん与えること」が大切と思ってきた。これは昔ソーンダイクという人が、フィードバックは接着剤のように刺激と反応を結びつけると考えて以来の伝統であるらしい。



 ところが1980年代のはじめ頃から、豊かなフィードバックは必ずしも運動学習を促進しているわけではないということがわかってきたのである。たとえばシュミットの研究では、ある運動を学習する被験者を4つのグループに分けた。1番目のグループは課題を一度練習する度にフィードバックを与えられる。2番目のグループは、5回に一度フィードバックを与えられる。3番目、4番目のグループは、それぞれ10回、15回に一度フィードバックを与えられた。その練習期間中にパフォーマンスが測定された。結果、一回毎にフィードバックが行われるものが一番パフォーマンスが改善した。また15回に一度のフィードバックのものが一番改善が見られなかった。



 「なんだ、ちっとも間違っていないじゃないか。フィードバックをたくさん与えたグループの方が結果がいいじゃない。」いや、まったくその通り。ところが、さてお立ち会い。練習終了後2日目にフィードバックなしで行われた保持テストでは、結果は逆転した。もっともパフォーマンスが良かったのは15回毎のグループ、最低は1回毎のグループだった。もし運動学習が「持続的な変化」を問題にしているのなら、1回毎のグループはちっとも運動学習をしないで、一時的な運動の改善だけを起こしていたことになる。



 シュミットによると従来運動学習の効果を測るために、練習中のパフォーマンス(その場で観察される運動)の変化を見ていたことが問題である。情報をより高頻度に、より素早く、より正確に与えること、すなわち豊かなフィードバックを与えれば、練習中のパフォーマンスは一時的に改善する。2日目の保持テストにおいて、結果の悪い1回毎のグループにフィードバックが与えられるとパフォーマンスが改善し、与えられない時には低下することがわかっている。そして、その一時的なパフォーマンスの改善がより良い運動学習につながるとも考えられてきたのである。



 フィードバックが運動学習を改善するというのは、間違いのない事実であるらしい。しかし豊かなフィードバックはパフォーマンスを著しく良くするが、運動学習を促進しない。さらにシュミットは、一時的なパフォーマンスの改善は、むしろ運動学習の妨げになるかもしれないとすら述べている。この具体的な説明については運動学習(その2)で述べる。



 つまりその場で観察される一時的な運動(パフォーマンス)の変化と、運動学習(訓練によって起きる持続的な運動変化)は、まるっきり異なった現象ということだ。これは私たちにとって新しい視点である。私たちは長い間、人の運動変化はなにもかも同じものと考えてきた。一時的な運動変化と持続的な運動変化は同じ線上にあると、当然のごとく考えていたのである。だから、一時的な運動(パフォーマンス)が変化すれば、それを繰り返すことによってやがて永続的な運動変化(運動学習)につながると考えていたのである。



 少し話がそれる。僕が新人の頃、ある研修会に参加した。そして、さる有名なインストラクターのデモンストレーションを見た。確かに、子供の姿勢や運動はその場で変化した。あたかもその場で新しい運動パターンを学習したように見えたものだ。皆は驚きのため息をもらした。その時ベテランのPTが質問した。「私の経験でいうと、訓練室を出るときには子供の運動は元に戻ってることが多いんですけど・・・」インストラクターがそれに答えて、「それは一時的な問題です。もっと長い目で見てください。一時的な変化でも繰り返し行えば、やがてその子のものになります」といった内容の説明を行った。それで質問者は納得し、その場は収まり、皆ほっとし、僕も「ああそうだな」と妙に納得したのを覚えている。でもそうではなかった。一時的な変化は、持続的な変化に結びついている可能性が低い。その二つの変化は異なったもの、それぞれ独立した現象であるかもしれないのだ。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆



以前にも少しコメントした、一時的な運動変化と持続的な運動変化についてここでも触れられていますね。
この論文が書かれたのはもう25年くらい前になりますが、運動学習についてはいまだに誤解がたくさんあると思っています。
この機会に、いったい「何を学習しているのか?」ということについて一緒に考えてみましょう!



【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.



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生態学的測定法(その1)

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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」シリーズの続きで、今回は生態学的測定法(その1)
まずは、論文を見てみましょう。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆



 結局ここでの私の主張は、人の運動を要素に分けたりしないで、全体的に測定できないだろうかという点に集約される。つまり人の運動は変化するのだが、たとえば認知の問題で変化している間は、いくら筋力や関節可動域を測定しても、人の運動変化を説明することなどできない。また、仮に同時に筋力や可動域や認知、その他動機などを同時に評価できたところで、それからどのように総合的な評価を下すというのか?バラバラの評価から、1つの結果を予測できるのなら、誰も最初から苦労などしないのである。



 前回の話を思い出していただきたい。片麻痺の父親は、最初壁と自転車で作られたすき間を見たときに、「わしはここを通れん。自転車を倒すじゃろう。」と言った。ところが、横歩きを試した後では、「通れるかもしれん」と言いだし、実際に通ってしまった。いっそのこと、「どのくらいの狭さまでなら通れると思う?」などと親父に聞いてみたら良かったのかもしれない。なぜならば「できる」「できない」の判断は、その人の身体的能力の認知や精神的な状態、環境との相互作用の結果だからである。最初に自転車と壁の間が80センチあったとする。運動戦略や身体認知の変化が起こって、「通れる」幅が50センチになったとすれば、より狭い場所での移動が可能になることを意味する。



 それはさまざまな構成要素の相互作用の結果である。私たちはそれを追い続けることによって、その人の運動が全体としてどのように変化するかを理解できるのではないだろうか。ちょうどゲーテがプリズムをのぞいて色を理解したように、私たちは患者さんの判断を通して行動能力のレベルや運動変化を理解できないだろうか。



 ただこのように単純に物理的な数値で表すと、他人との比較が難しくなる。たとえば40センチは一般的にいって狭いのだろうか、広いのだろうか?これには第一に体の大きさが関係していることが考えられる。体が大きければ通れる最小幅は当然大きい。じゃあ、体の大きさを基準にして、通れる幅がどうなのかを考えればよい。そうすれば以下に紹介するように、標準値らしいものが出てくるのである。



 具体例を見てみよう。カエルは前方の植物の茎などのすき間が自身の頭部の幅の1.3倍以上ないと飛び出さない。スライドで壁にさまざまな高さのバーを写し、どの程度の高さまで手を使わずに登れるかを大学生に視覚的に判断させると、被験者の股下の長さ、0.88倍のところがぎりぎりだった。視覚だけを頼りに、手を使わずに座れる椅子の高さは脚長の0.9倍の高さの椅子であり、バーが「くぐれる」か「くぐれない」かをたずねると、脚長の1.07倍のところを境に答えは変わる。ここであげているのは体の大きさと視覚的情報との相互作用の結果、出てきている数値である。老人では全身の柔軟性の方が脚長よりも、「登れる最大の段の高さ」の基準として適切らしい。



 このように身体の大きさ、柔軟性、能力を基にして、環境との相互作用の結果を表すための尺度を使った測定法を生態学的測定法と呼ぶ。下肢長の1.1倍とか、安静歩行時の心拍数の2倍である。これらの数値は体格や身長に関わりなく、比率自体は普遍性を持っているらしい。物理的な測定値も、身体やその機能を基にして尺度を考え直すことによって新たな視点が見えてくるが、それはまた次回の話。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆



基本的に僕たちは、以前取り上げた「還元主義」に基づく考え方の影響を大きく受けています。それはそれでいいのですが、もしも有益な別の考え方があるのなら、それも身に付けておいた方が有利で便利でしょう、と述べてきました。



前回までの「アフォーダンス」や今回取り上げた「生態学的測定法」は、「還元主義」とは異なるパラダイムに基づいたものです。どちらの考え方もとても大事なのですが、僕たちが新たに学ぶ必要があるのは圧倒的にニュートンの視点ではなく、ゲーテの視点だとも言いました。「アフォーダンス」や「生態学的測定法」は、それを学ぶよいきっかけになるのではないかと思います。



【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.



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アフォーダンス(その5)

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さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」シリーズの続きで、今回はアフォーダンス(その5)です。
まずは、論文を見てみましょう。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆



私たちは「アフォーダンス理論」から何を学んできたのだろうか?まず「人の運動変化は環境に依存している」といった内容のことである。『依存する』とはどういうことか?それは「人は環境との相互作用の中で見いだす『意味』あるいは『価値』によって行動している」ということだ。つまり『意味』や『価値』によって運動を生じさせ、一瞬一瞬に変化させ、運動学習をし、長期的には運動を発達させる。逆に言えば『意味のない』あるいは『価値のない』ことは基本的に、人の運動に変化を起こさないし、学習もされない。



 訓練室でセラピストから教えられた運動パターンは、訓練室を出たとたんに消えてしまうケースは多い。なぜならその運動パターンは訓練室でしか意味を持たないからだ。それならば訓練室でやる訓練は無意味かと言えば、そうでもない。たとえば患者さんの痛みを弱めること、筋力を改善すること、関節可動域を改善すること、全身の持久力を改善することは患者さんの意味を見いだす能力を変化させるはずである。自分一人で立つのが精一杯だった人が、一人で10メートル歩けるようになったとする。これだけで環境に見いだされるアフォーダンスは随分変化するはずである。結果アフォーダンスの変化は新たに運動を変化させる。



 だがこの辺りは、従来の訓練法では元々視野に入っていない。従来の訓練法では、運動変化の原因をさまざまな構成要素に還元する。そしてその要素に働きかける。しかし、アフォーダンスに相当する視点が欠けていたのである。結果、運動変化の原因は、筋力だの関節可動域、あるいはセラピストのハンドリングなどに還元されてしまう。セラピストは運動変化が自律的に起きること、たとえば本当に生活に必要な運動変化が訓練室以外、つまり生活環境で起きていることを知らない。多くの患者さんは自分自身で、必要な運動変化を起こしていけるのだ。



 「運動を生じさせ、変化させ、学習させる意味」としてのアフォーダンスを運動変化の中心に据えることは、患者を自立した存在として扱うということだ。セラピストの仕事は、患者さんの意味を見いだす能力を変化させることだ。後は患者さん自身の環境で、患者さん自身にとって意味のある運動変化を、患者さん自身が生み出していく。我々セラピストは、運動変化のほんの「きっかけ」となっているに過ぎない。だが、我々セラピストだけが提供できる「きっかけ」がある。



 僕はもう少し、このアフォーダンスを意識した訓練体系を確立したい。たとえば運動変化は、セラピストのハンドリングや筋力増強訓練だけによって、あるいはそれを中心に起きているのではないのだということをはっきりさせたい。運動の変化は、セラピストによらずとも、もっと自律的に起きているのだ。つまりアフォーダンスを中心にして。「運動はアフォーダンスを変化させ、変化したアフォーダンスは運動を変化させる」といった辺りをうまく評価と訓練実施に結びつけたいと思っている。



 最後にもう一度まとめておく。「我々セラピストの仕事は、運動を直接変化させることではない。運動変化そのものは、アフォーダンスを中心に患者さんが行うのである。我々はそのアフォーダンス、「価値を見いだす能力」を変化させる。たとえば身体の物理的能力(筋力や関節可動域など)、動機付け、環境操作(装具や家屋改造)などの手段を用いることによってである。」



★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆



人の運動変化について考える際には、一時的な運動変化と持続的な運動変化と分けて考えた方がいいようですね。そういえば僕もまだ若くて経験も浅かった頃、講習会などに行くと、講師の先生がデモンストレーションをすると患者さんの姿勢がその場で目に見えて変わって、「おおぉ、すごい!」と思ったりしたものでした。



でも、結局これは一時的な変化にすぎないんですね。その後CAMRを学び経験を積んで、一時的な変化なんて、いとも簡単に生み出すことができることに気づきました。


もちろん、それはそれで使い道があるので悪い事ではありません。セラピスト自身が、その違いを理解していることが重要なのです。違いをわかったうえで意図的に一時的な変化を使ったり探索しているのなら良いのですが、この違いがわからずに、いつまでも一時的な変化だけを延々と繰り返しながら「粘り強く繰り返すことが大切です」などと耳障りが良くてもっともらしいことを言うしかないようではちょっと困りますね、ということです。


そして最後のほうで「アフォーダンスを意識した訓練体系を確立したい」と述べられていますが、これが少しずつ進化しながら後のCAMR構築につながっていきます。



【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.



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