生態学的測定法(その2)

目安時間:約 7分

\(^▽^)/
アロハ~!
しあわせ探検家の晋作です!
ご機嫌いかがですか?



さて、「CAMRの胎動-解題!実用理論辞典」シリーズの続きで、今回は生態学的測定法(その2)です。
まずは、論文を見てみましょう。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆



ここではこのアイデアを違った視点から検討してみたい。私の勉強会の学生の一人はこのアイデアに即座に反論した。「どのくらいの幅なら通れるか、通れないかを判断してもらってもしかたないんじゃありませんか。実際にできるかどうかが問題だと思います。いくらできると判断しても実際にはできないこともあるんですから。実際に通ってもらって最小の幅をその人の能力と考えるべきではありませんか。」つまりその人がどう判断するかよりも、その人が実際に持っている物理的な能力の方が重要なのだ、とその学生は言いたかったのである。案外、生態学的な視点と物理学的な視点との境界線はそのあたりにあるのだろう。



 実際には、「できる」と考えることと「できない」と考えることは大きな結果の違いを生む。少し話をそらします。私がアメリカに留学しているときに、一人の若い日本人と友人になった。二人とも同じ英会話学校に通い、ともに「トシ」というニックネームを持っていた。彼は何事にも積極的で、よく私を誘っていろいろなところに行き、いろんなものを食べ、いろんな人と友達になった。一方私と言えば、彼のする事をそばで見ていたものだ。元来引っ込み思案でもあるが、心に常にあったのは「私は英語が理解できないし、しゃべれないからな」という思いであった。「もう少し理解できれば、もう少し話せれば、いろんな経験ができるのに・・・・」という無念の思いであった。ところがある日、英会話の能力試験を受けた結果、もう一人の「トシ」の英語の理解力は私とたいして変わらないことを知って愕然とした。私は自分自身会話ができないと思うことにより、自らの行動を制限していたのである。実際にもう一人の「トシ」と同じ程度の能力を持っているかどうかが問題なのではなく、その能力を使えるかどうか、つまり「できる」と思えるかどうかが問題だったのだ。



 これまでは実際にできる、できないだけが評価の基本だった。実際に「できる」「できない」だけを評価するのは、英会話の試験のようなもので、必ずしも日常生活の様子を反映していない。また筋力検査や関節可動域の測定は、物理学の視点から能力を見ているにすぎない。それによって測定された能力が、うまくがたがた道で発揮できるかどうかはまた別問題である。人は機械ではない。だからこそ、生態学的な枠組みが必要になってくるのではないだろうか。



 実際「できる」と思えることは、その人の実生活での行動範囲を広げることになる。そういった判断が、訓練と共に変化するとすれば、それこそ私たちの知りたいことではないだろうか。ある人が、自らの身体の物理的な能力がある環境の中でどのように発揮されると考えるかを評価するのは、人と「環境」との相互作用である運動を見ていくことになるのである。



 もちろん、実際にやってもらうことも必要だ。患者さんができると思っても実際には失敗するかもしれない。そこで僕は、「人の判断」を中心にして、それに続く「実際の運動」を絡めて、運動評価の基本にしようと提案しているわけである。が、これを実行しようとするといくつかの問題が出てくる。この問題は次回から検討しよう。



 留学したての頃には、レストランの前でよく自問自答したものだ。「うまくやれるか?」「やっぱりやめとこう、大学のカフェテリアまで我慢しよう。あそこならうまくやれる。」それから8カ月くらいたった頃には、私一人での行動範囲はかなり広がった。初めてのレストランを前にして、「うまく振る舞えるか?」「まあ、なんとかなるだろう。」と思うから、その店に入り貴重な経験が積めたのである。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆



従来的な評価項目というのは物理的な視点に偏りすぎているのかもしれません。しかし実際の人の運動を見ると、行為の前提条件として、その行為の安全性や可能性について自覚的にせよ無自覚的にせよ何らかの判断をしていると思われます。



道を歩いていて前方に溝があったとしても、その幅が20cm程度なら簡単に跨ぎ越してしまうでしょうけど、幅150cmだったらどうでしょうか? 
安全に溝を跨ぎ越すことができない、あるいはできるかどうかわからないと思ったら、一旦歩くのをやめて、もっと幅が狭くなっているところを探したりするかもしれませんね。



生態学的な枠組みというのは、このような行為の前提条件さえも視野に含んでいます。運動に関わる専門家にとって、とても重要な視点を提供してくれているように思うのですが、いかがでしょうか?



【引用・参考文献】
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その1).上田法治療研究会会報, No.18, p17-29, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その2).上田法治療研究会会報, No.19, p1-15, 1995.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その3).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.1, p12-31, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その4).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p76-94, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その5).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.2, p120-135, 1996.
西尾幸敏:実用理論事典-道具としての理論(その6 最終回).上田法治療研究会会報, Vol.8 No.3, p120-135, 1996.



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